ワーグナーの芸術思想

ドイツ・オペラの分野において、その確立者であるウェーバーに続いて登場した作曲家がリヒャルト・ワーグナー(Richard Wagner 1813〜1883)です。ロマン派音楽の歴史に大きな足跡を残すこととなるワーグナーの芸術思想の根本には、文学や演劇あるいは宗教や哲学までをも包含した音楽の総合芸術化の追求がありました。これは、彼の生まれた家庭環境の影響により若いころから演劇に特に強い関心を抱いていたこと、そしてシラーの詩及びその思想と音楽の融合とも言うべきベートーヴェンの<交響曲第9番「合唱付き」>を聴いて衝撃を受けた、という経験が大きな影響を与えたからだと考えられます。
こうした音楽と文学など他分野の芸術との接近という芸術思想自体はロマン主義全体の傾向でもあるわけですが、彼は特にその方向性を強く意識した作曲家であったと言えるでしょう。そしてワーグナーの創作が、自ら書き上げた台本に基づくオペラを中心としたものとなることもまた必然であったわけです。

ワーグナーにとって音楽が単なる娯楽などでなかったことは、初期の作品である<歌劇「さまよえるオランダ人」>が既に明確な思想性を備えていることからも分かります。ドレスデン宮廷に歌劇場指揮者という職を得るまでの間、各地の歌劇場に職を求めながらヨーロッパ中をさまよっていた苦労の時代に書かれたこの作品において、ワーグナーは従来からのオペラの手法を踏襲しつつも「女性による献身的な自己犠牲による魂の救済」という生涯を通じたテーマをはっきりと示しているのです。ドレスデン宮廷歌劇場時代に書かれた<歌劇「タンホイザー」>と<歌劇「ローエングリン」>の2作品においても、この思想性が明確に表れています。

ワーグナーが単に音楽家というだけでない人物であったことは、1849年のドレスデン革命にも加わったことからも分かります。マルクスとエンゲルスによる「共産党宣言」に端を発するパリの「二月革命」はヨーロッパ各地に飛び火し、知識階級にあった人々を大いに刺激していたのです。しかしこのことは、ワーグナーに非常な危機をもたらしました。ドレスデン宮廷の歌劇場指揮者という立場にいながら、君主政治を批判する側に回ってしまったということであり、逮捕状が出されてしまったワーグナーは、リストの助けも借りて永らくスイスへと亡命することになったのです。
この亡命先において、富豪のヴェーゼンドンク夫妻からの支援を受けながら、従来のオペラの概念を超えた音楽の総合芸術化の実践であり、かつワーグナーの芸術の集大成となる<楽劇「ニーベルングの指輪」>にいよいよ着手することになるのです。


posted by バニラ at 14:27 | TrackBack(0) | ロマン派 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

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