西欧アカデミズムとロシア民族主義の統合

ムソルグスキーやリムスキー=コルサコフらロシア五人組と同世代の作曲家として、もう一人忘れてはならない大作曲家がいます。言うまでもなく、ピョートル・イリイチ・チャイコフスキー(1840〜1893)です。ただ、同じロシアの国民楽派を代表する作曲家であっても、チャイコフスキーは音楽の専門教育を受けた職業作曲家として活動を行ったという点において、ロシア五人組とは立場を異にしています。
チャイコフスキーが入学した音楽学校は、その当時、西欧式の音楽教育を積極的に取り入れようとしていたアントン・ルビンシテインが創設したペテルブルグ音楽院でした。この音楽院においてチャイコフスキーは西欧の音楽理論を身につけると、アントンの弟ニコライ・ルビンシテインが創設したモスクワ音楽院の音楽理論の教授として赴任し、ロシアにおける西欧派の新たな旗手となったのです。

ところで、チャイコフスキーの音楽を特徴づける主たる要因として、甘美なメロディーと暗く憂鬱な感情表出があります。
甘美なメロディーと言えば、<バレエ「白鳥の湖」>、<バレエ「くるみ割り人形」>、<バレエ「眠りの森の美女」>のいわゆる3大バレエに代表されるように、チャイコフスキーの人気の源泉ともいえるものです。特にクラシックを聴き始めたばかりの方にとっては、メロディーの美しさは音楽の分かり易さにつながるものでもあります。その一方で、暗く憂鬱な感情表出という側面としては、<交響曲第6番「悲愴」>や<ピアノ三重奏曲「ある偉大な芸術家の思い出のために」>などに代表されますが、そこにはチャイコフスキー自身の性格が音楽に反映されているのと同時に、その当時の帝政ロシアにおける末期的な世相の反映を見出すこともできるでしょう。
甘美なメロディーも憂鬱な感情表出も、それだけでは感傷に堕しかねないものですが、チャイコフスキーの音楽が洗練された芸術であり続けているのは、彼が身につけた西欧式の音楽理論が下支えになっているからではないでしょうか。

そうは言いましても、チャイコフスキーもやはりロシア五人組と同じくロシアの風土に根ざした音楽家でもありました。有名な<ピアノ協奏曲第1番>や<ヴァイオリン協奏曲>を一聴すれば明らかなように、そこにはロシアの民族性そのものとも言える感性が横溢していることが感じられます。
ロシアの民族性という魅力的ながらもローカルな素材を、西欧の作曲技法によって洗練された芸術へと高めることによって、チャイコフスキーの音楽は今日へと続くインターナショナルな人気を獲得するに至ったのです。
posted by バニラ at 21:03 | ロマン派 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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