前期ロマン派音楽概観

フランス革命からナポレオン戦争というヨーロッパ全土に及んだ社会的な混乱期を経て、ヨーロッパ社会は急速な近代化を迎えることとなります。この時代に社会の主役へと躍り出たのは、貴族や教会といった従来の支配階級ではなく財を成した市民階級でした。こうした社会の変化に対して、音楽家も従来のスタンスのままで社会と向き合い続けるわけにはいきませんでした。かつての雇い主を失った音楽家たちは、雇い主の求める音楽を作曲することで報酬を得る代わりに、自らの芸術的要求に基づいて創り出した音楽を一般市民に楽譜の購入やコンサートへの来場という形で消費してもらうことで収入を得なくてはならなくなったのです。
そしてこの時代の芸術の風潮として、近代化し合理化されていく社会への反動としてのロマン主義が文学を中心に興っていました。外面的なものよりも内面的なものを志向し、遥かなるもの、永遠なるものに憧れるロマン主義文学にほぼ同調する形で、音楽の分野においても古典派の時代からロマン派の時代へと移行していくのです。

フランツ・シューベルトやロベルト・シューマンは、同時代の詩人による優れた詩をテキストとした歌曲を多数作曲することで、歌曲をロマン派の作曲家にとっての主要なジャンルへと押し上げることに成功しました。また、こうした歌曲の伴奏を受け持つピアノについても楽器の改良により表現力が拡大されたこともあり、フレデリック・ショパンの<24の前奏曲>やフェリックス・メンデルスゾーンの<無言歌集>など、ロマン主義的な心情を十全に表現するジャンルとしてピアノ小品集というジャンルが開拓されました。
また、ロマン主義的な感性は、個人の内面や心情の表現への志向にも結びつき、かつてはもっとも外向的なジャンルであったはずの交響曲の分野においても、エクトル・ベルリオーズが<幻想交響曲>で極めて個人的な体験に基づいた内容を表現するに至りました。
ロマン主義的な表現が開拓される一方で、新たな音楽需要の担い手たる市民階級に対しては、きらびやかな技巧で聴衆をアッと言わせることが最も手っ取り早く音楽家をスターダムへとのし上げる手段にも成り得ることとなったため、ヴァイオリンでは<24のカプリース>のニコロ・パガニーニ、ピアノでは<超絶技巧練習曲集>のフランツ・リストといったスター音楽家が誕生したのも、この時代の特徴となっています。
オペラの分野に目を向けると、バロック以来のオペラの王国たるイタリアでは、ジョアッキーノ・ロッシーニに続いて登場したジュゼッペ・ヴェルディが、鋭い心理描写と雄弁な管弦楽によってドラマティックなオペラを創り出しました。それに対しドイツでは、カルロ・マリア・フォン・ウェーバーが<魔弾の射手>において初めて、真の意味でドイツ国民オペラとも呼べるオペラを創出し、それを受けてリヒャルト・ワーグナーが芸術の総合化を目指した楽劇を創り出すこととなりました。

ロマン派の時代は数多くの個性的な作曲家が現れ、お互いに競い合いつつ自らの才能を世に問うた時代でもあったのです。
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ロマン主義という芸術思潮

音楽史において古典派とロマン派の区分をどの時点とするのかについては解釈次第というところですが、ここでは最も一般的と思われる1810年代の中ごろと考えることとしましょう。それはちょうど、ベートーヴェンの創作が後期様式に差し掛かり、シューベルトの最初の歌曲である<糸を紡ぐグレートヒェン>が生まれた頃にあたるからです。
ロマン派の音楽の何が古典派と何が違っているのか?実のところ、音楽の形式や理論の面では、古典派とロマン派とでは大きな違いはありません。むしろ古典派の時代に整えられ確立された音楽形式をベースとしてロマン派の音楽が成立したとも言えるくらいです。ソナタ形式の楽章を含む多楽章からなる交響曲や弦楽四重奏曲、ピアノソナタなどは、ロマン派の時代においても最も基本的な音楽形式であったといえるでしょう。では何が違うのかというと、そうした形式に盛り込まれた音楽の性格の違いということになります。
古典派の時代の芸術が本質的には形而上的、形式重視で理知的という性格を持つのに対し、ロマン派の時代の芸術は個人主義的、感情重視で夢想的という反対の性格を持ったものとなっています。音楽を含むこうした芸術の指向性こそが、ロマン主義と呼ばれるものです。より具体的にロマン派音楽の性格を言い表すのであれば、「心に染み入る美しい旋律」と「感情や雰囲気の移り変わりを描き出す転調」による表現を重視した音楽ということ言えるでしょう。

市民革命を経て達成された市民社会の成立は、同時に近代社会の成立でもありました。社会の主役となった市民階級の人々が商工業に従事することで成立する社会です。そうした市民階級の人々が日々の労働から解放された余暇の時間に芸術に親しむとするならば、それが文学にしても絵画にしても音楽にしても、世知辛い現実をひと時忘れさせてくれる夢想的なものが好まれるようになったということは想像に難くないところだと思います。
そして社会の近代化に伴う都市化や産業化はまた、かつての人々が心に抱いていたであろう、神や自然など神秘的なものへの憧れや畏れといった感情を少しずつ捨て去ることでもありましたが、そうして社会から失われつつあったものを芸術の中に見出そうとしたのが、ロマン主義という芸術思潮であったとも言えるでしょう。この結果、ロマン主義芸術は総じて、遥かなるもの儚いものを志向し、外面的なものよりも内面的なものを表現しようとすることになります。そしてそれは、古典派の時代までの音楽が宮廷の祝典や教会の典礼という儀式を彩るものであったため、権威を誇示する外面的な性格を有し、様式を重んじるものであったのとは反対の性格を持ったものとなります。
胸を打つ妙なる旋律と繊細な転調によってロマン派音楽が創り出す幻想に、市民社会を生きる人々は耳を傾けようとしたのです。
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ロマン派歌曲の確立

ロマン派音楽の特徴であり古典派との相違点の一つとなっているのが、歌曲の重要性の高まりです。この時代になると、ロマン主義の詩人たちが優れた詩を数多く世に送り出すようになったことにより、作曲家もまたそうした詩からインスピレーションを得ることで歌曲に対する創作意欲が高まったと考えられます。主な詩人をあげるだけでも、ゲーテをはじめとして、シラー、ハイネ、アイヒェンドルフ、メーリケ、ミュラー、リュッケルトらがいますが、彼らの詩を基にして歌曲を音楽の重要なジャンルへと引き上げたのがフランツ・シューベルト(Franz Peter Schubert 1797〜1828)です。

シューベルトの最初期の作品である<糸を紡ぐグレートヒェン>や<魔王>からして、既に完成された傑作であるというだけでなく、ロマン派音楽の幕開けにふさわしい感情表現や心理描写が見て取れます。ところでこのロマン派的な感情表現・心理描写を支えるものが機能和声に基づいた転調の自由度の拡大でした。古典的な主調から近親調への転調だけでなく遠隔調までの転調も駆使することにより、幻想的な雰囲気、ナイーブな心情の移ろい等、より一層のロマン主義的な音楽表現が可能となったのです。シューベルトの和声は後期ロマン派の作曲家に比べれば、まだほんのささやかなものであったかもしれませんが、その用い方が効果的であっただけにロマン派音楽の誕生への確かな一歩が感じられます。
また、これまでは単に歌を支えるという役割に過ぎなかったピアノ伴奏が、音楽表現の面においても重要な役割を担うようになった点も注目されます。<糸を紡ぐグレートヒェン>では糸車の回る様子を、<魔王>では疾走する馬の蹄の音をそれぞれ描写していたのが、それがいつのまにか登場人物の心理を鋭く描き出すツールへと変貌しています。こうしたピアノ伴奏による表現領域の拡大もまた、シューベルトが音楽史において達成した重要な功績の一つであると言えるでしょう。

シューベルトの歌曲にはこの他<アヴェ・マリア>、<ます>、<野ばら>などの有名曲がいくつもありますが、中でも三大歌曲集と呼ばれる<歌曲集「美しい水車小屋の娘」>、<歌曲集「冬の旅」>そして<歌曲集「白鳥の歌」>には、初期ロマン派の歌曲が到達した心理描写や感情表現の極地を聴くことができます。シューベルトによりジャンルとしての確立が達成された歌曲の創作は、この後シューマンやブラームスらによって受け継がれ、ロマン派的な音楽表現の重要な手段としてより一層の深化を遂げることになるのです。
 
【参考音源】
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市民社会の成立と音楽家の立場の変化

1789年に勃発したフランス革命を引き金に、かつての支配階級であった貴族階級が急速に没落し、代わって社会に対する発言権を強めてきたのが市民階級です。とりわけ商工業で財を成した新興のブルジョワジーは、その財力でもって貴族に代わる文化の担い手となってゆきました。ヨーロッパ全土を巻き込んだナポレオン戦争を経てのウィーン体制では、一時的に復古的な王政が復活するものの、社会の実質的な主役が市民階級の手へと移ってゆく流れは変わるものではありませんでした。
こうした社会の変化は、音楽家の社会的な立ち位置についても従来のままとはしておきませんでした。かつての音楽家は、ヘンデルのように自ら興行主にもなったような人を除き、一般的には宮廷や教会に雇われ、雇い主の注文する音楽を提供することで生計を立ててきました。しかしかつての雇い主であった貴族や教会が没落してしまった市民社会においては、音楽家も市民社会と向き合っていくより他なくなってしまったのです。

18世紀の中ごろから19世紀初めにかけてウィーンを中心に活動した4人の大作曲家、すなわちハイドン、モーツァルト、ベートーヴェン、そしてフランツ・シューベルトの社会とのかかわり方の違いが、そうした事実を端的に物語っているように思われます。
ハイドンは、その一生の大半をハンガリー貴族エステルハージ侯爵の宮廷に仕えて過ごしました。また、故郷ザルツルクでは宮廷に仕える音楽家という立場であったモーツァルトですが、最終的にはウィーンの宮廷音楽家には任命されることになるものの、故郷を離れてからの時間の大半はフリーランスの音楽家として過ごしました。それに対してベートーヴェンは、最初から宮仕えをすることは考えることもなく、ルドルフ大公をはじめとする大貴族たちもあくまでパトロン、それも極めて友人という関係に近いパトロンとして対等な立場を貫いています。

そしてロマン派の時代になってからのシューベルトはというと、もはや貴族階級との実質的な接点はありません。しかしながらシューベルトはまた、多くの友人には恵まれたものの、新たに形成されつつあった市民社会にも上手く順応することができなかったようです。結果として定職に就くことなく貧困のうちに31歳の若さで世を去ることになりますが、残された作品のうちには<交響曲第7(8)番「未完成」>をはじめとする未完成のものが多いのも、注文主がなく完成させなくてはならない義務を負うことすらできなかったシューベルトの社会的な立場を物語っているかのようです。
これから先、新たな市民社会の中においてどのように自立していかなくてはならないのかという課題について、音楽家も否応なしに向き合っていかなくてはならなくなったのです。
 
【参考音源】
posted by バニラ at 06:19 | TrackBack(0) | ロマン派 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

ヴィルトゥオーゾの出現とパガニーニの音楽

貴族階級の没落に伴い、市民社会の中での自立を余儀なくされることとなったロマン派の音楽家にとって、何よりも必要となったのが市民に対するアピールでした。たとえば市民が自ら演奏して楽しむための曲を作り、楽譜を出版するなどの方法も考えられるのですが、最も手っ取り早く市民の心をつかむ方法が、公開の演奏会において演奏の巧みさでもって市民に認知してもらうことでした。しかもそれは、しみじみとした情感溢れる演奏ではなく、きらびやかな技巧を披露することで聴き手の度肝を抜き、アッと言わせるような種類の音楽です。こうしてロマン派の時代には、多くのヴィルトゥオーゾが生まれることとなりますが、その先駆けとなった音楽家がヴァイオリンの魔人ニコロ・パガニーニ(Niccolo Pagnini 1782〜1840)です。

パガニーニはヨーロッパ各地を演奏旅行で巡り、当時の聴衆を熱狂させるだけでなく音楽家たちにも多大な影響を与えました。中でもパガニーニの演奏を聴いたフランツ・リストが「ピアノのパガニーニになる」と心に決めたエピソードは有名です。彼の演奏はフラジオレット奏法や左手のピッチカートを駆使した大変に難易度の高いものであるにも関わらず、それを易々と弾いてのけるだけでなく、視覚的な演奏効果も抜群であったようです。パガニーニは相当に奔放な人物でもあったようで、その演奏の凄さと相まって彼の生涯は半ば伝説化しており、さる高貴な女性とのスキャンダルを引き起こしたり、ギャンブルで作った借金のために愛器のベルゴンツィを失ったり、ということまであったようです。挙句の果てには「超人的なヴァイオリン演奏は悪魔に魂を売ったため」との噂を立てられたために、亡くなった際には各地で埋葬を拒否されるということまでありました。
また作曲家としてのパガニーニは、自らの超絶技巧の秘密を知られないようにするために自作自演のための作品をあまり多くは出版楽譜として残しませんでした。それでも無伴奏ヴァイオリンのための<24のカプリース>や6曲が現存しているヴァイオリン協奏曲(特に<ヴァイオリン協奏曲第1番>と<ヴァイオリン協奏曲第2番「ラ・カンパネラ」>が有名)だけで、不滅の名を残す存在であると言えるでしょう。<24のカプリース>が変奏曲の主題として使われるなど、これらの楽曲もまた、彼の演奏技術と同様に後世の作曲家のインスピレーションの源泉ともなったのです。

パガニーニの出身であるイタリアは、アルカンジェロ・コレッリ以来のヴァイオリンの本場でもあり、ロカテッリやタルティーニらによるヴァイオリン演奏の伝統がある地域です。そのような意味においては、パガニーニはバロック時代から連綿と続くイタリアのヴァイオリン演奏の伝統と、ロマン派以降のヴィルトゥオーゾたちとを結びつける位置に立つ音楽家として、重要な存在であると言えるでしょう。
 
【参考音源】
posted by バニラ at 19:45 | TrackBack(0) | ロマン派 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

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