中世の音楽史

 古代ギリシアに代わって地中海沿岸世界を支配したのは古代ローマです。紀元前750年ごろに建国された古代ローマは紀元前270年ごろにはイタリア半島を統一し、さらにポエニ戦争などによる領土拡大の結果、古代ギリシアをも征服してしまいました。紀元前27年にはカエサルの養子であったオクタヴィアヌスが皇帝アウグストゥスの称号を用いることにより古代ローマは帝政の時代に入り、1世紀末から2世紀末にかけての五賢帝の時代に帝国は最盛期を迎えることになりました。

 この古代ローマの芸術に関しては、主に古代ギリシアからの影響を受けたものが多く、音楽に限らず古代ローマ独自の芸術はあまり発展をしませんでした。しかしながらその一方で、古代ローマではキリスト教の誕生という極めて重要な出来事が起こりました。この初期キリスト教の典礼音楽において、古代ユダヤ教から受け継いだ典礼の形式などの音楽的遺産と、古代ギリシアの音楽理論や音楽観が合わさることにより、中世の音楽が形作られていったと考えられます。

 一般的な世界史の時代区分では、中世の始まりをゲルマン民族の大移動が始まる4世紀の中ごろとしていますが、この時代の音楽がどのようなものであったのかについては、詳しくは分かっていません。ボエティウスにより古代の音楽観が中世に伝えられていることは分かりますが、実際の音楽がどのようなものであったのかが資料により分かってくるのは8世紀か9世紀ごろになってからです。そして、この資料こそが最古のグレゴリオ聖歌の手写本というわけです。中世の音楽史は、この「グレゴリオ聖歌」の形成と発展を軸として展開していきます。
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初期キリスト教聖歌とグレゴリオ聖歌の成立

 成立当初には、さまざまな迫害を受けたキリスト教も、コンスタンティヌス帝のミラノ勅令(313)により公認されると急速に勢力を拡大し、ついにはテオドシウス帝によりローマ国教に制定されます(394)。このテオドシウス帝の死後、ローマ帝国は東西に分裂することになりますが、キリスト教も東ローマ帝国を中心としたギリシア正教会と西ローマ帝国を中心としたカトリック教会との2つの宗派に分かれることとなります。キリスト教の公認以後、地中海沿岸地域の各地でいろいろな典礼の様式やそれに付随する音楽が行われてきたわけですが、帝国の分裂によりますます西と東のキリスト教音楽の違いは明確なものとなり、東ローマ帝国内では東方教会聖歌(ギリシャ正教聖歌など)が独自の発展を遂げていきました。

 一方の西ローマ帝国内でも、古ローマ聖歌やミラノのアンブロジオ聖歌、アルプス北方地域のガリア聖歌、スペインのモザラベ聖歌など、その地方独特の聖歌が定着していました。西ローマ帝国は、4世紀中ごろに起こったゲルマン民族の大移動をきっかけとして476年に滅亡してしまいますが、カトリック教会はギリシア正教会に対抗するためにゲルマンの諸民族への布教を行い、その勢力を徐々に拡大していたのです。各地に設立された修道院が、この布教活動及びそれぞれの聖歌の発展の中心的な役割を担ったのでした。

 こうしたカトリック教会及びその首長であるローマ教皇の権力の増大に伴い、教会音楽についても各地の聖歌を集大成しようとする動きが現れてきました。これが6世紀末のグレゴリウス1世(在位590〜604)の時代を中心に行われたため、このようにして編纂された聖歌を「グレゴリオ聖歌」と呼ぶことになったわけであり、これが中世の昔から今日までローマ・カトリック教会の典礼音楽として連綿と歌い継がれてきたのです。
 すなわちグレゴリオ聖歌とは、@地中海沿岸地域及びヨーロッパ各地の音楽要素が集約されることでできあがった初めての汎ヨーロッパ的性格を持った音楽であること、A断片的でなく纏まった形で今日まで演奏され続けている最古の音楽であること、B後世の音楽が発展していくうえでの基礎となったことなど大きな影響を与えていること、といった理由から西洋音楽の最も根源的なものであるのです。
 もっとも、グレゴリオ聖歌の編纂はその後何世紀にも渡って行われているため、今日残されている資料でグレゴリウス1世の時代にまで遡るものは無く、最も古いものが前述した8世紀から9世紀にかけての手写本ということになります。
 

【参考音源】
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フランク王国とグレゴリオ聖歌

 もう少しグレゴリオ聖歌の音楽史上の位置づけについて考察してみますと、これらの最初期のグレゴリオ聖歌の資料がザンクト・ガレンやラン、シャルトルなどの修道院に存在していた点が重要となってきます。すなわち、この手写本に記された聖歌はこれらの修道院があったアルプス北方のガリア地方で成立したものとする見方が有力となっているのです。
 
 ところでこのアルプスの北方地域は、ゲルマン諸民族のうち、後の西ヨーロッパに統一をもたらしたフランク族のフランク王国の勢力圏内にあたります。フランク王国はその支配基盤を強固なものとするために、カトリックへの改宗を促進していました。一方、すでに布教活動のために聖像を用いていたカトリック教会も、聖像崇拝禁止令を出していた東ローマ皇帝の干渉を退けるために政治勢力であるフランク王国と手を結ぼうとしていました。こうした両者の思惑から、フランク王国のピピン3世は、ローマ教皇の承認のもとに王位につきカロリング朝を創始し、続くカール大帝が800年にローマ教皇からローマ皇帝として帝冠を授かることとなりました。 
 この出来事の世界史上の意義としては、ローマ、ゲルマン、キリスト教の3要素が融合されて、今日の西洋文化圏の基礎が出来上がった(フランク王国はカール大帝の死後、ヴェルダン条約(843)とメルセン条約(870)により三分割されますが、これはちょうど現在のヨーロッパのフランス・ドイツ・イタリアの文化圏に相当する地域にあたります)ということになります。カール大帝の政策は、古代ローマの文化を規範としていました(いわゆる「カロリング・ルネサンス」)が、その一環として、ガリア地方で従来から執り行われていたガリア式典礼が廃止されて、ローマ式典礼が取り入れられました。このローマ式典礼において用いられていた古ローマ聖歌が、ゲルマン的な性格を持っていたであろうガリア聖歌を吸収することでグレゴリオ聖歌の原型が形成されていったのではないかと私は考えています。ちょうどカール大帝がヨーロッパを支配していた時期に、ガリア地方において最古のグレゴリオ聖歌の手写本が残されているという点についても、グレゴリオ聖歌が西洋音楽の基礎をなすものであるという論拠になるのではないかと思われます。
 【参考音源】
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聖務日課とミサ

 グレゴリオ聖歌は大きく分けて、聖務日課用とミサ用に分けられます。聖務日課(オフィチウム)とは、ユダヤ教の習慣に由来する、キリスト教の司祭たちが行う最も古い祈りの儀式で、決められた時間に一日に8回(朝課、賛課、一時課、三時課、六時課、九時課、晩課、終課)執り行われます。聖務日課では、詩篇の朗唱、聖書の朗読、賛歌の歌唱などにより祈りが捧げられます。

 一方、ミサとはキリストの最後の晩餐を記念してキリストの血と肉を象徴するブドウ酒とパンを信徒が拝領するキリスト教独自の儀式のことです。ミサ用の聖歌は、通常文を歌うものと固有文を歌うものとに分けられます。ミサ通常文はキリエ(あわれみの賛歌)、グロリア(栄光の賛歌)、クレド(信仰宣言)、サンクトゥス(感謝の賛歌)、アニュス・デイ(平安の賛歌)の5章からなり、典礼の内容にかかわらず同じ言葉で歌われます。ミサ固有文はクリスマスや復活祭といった特定の祝日のためのもので、イントロイトゥス(入祭唱)、グラドゥアーレ(昇階唱)、アレルヤ唱、セクエンツィア(続唱)、オッフェルトリウム(奉納唱)、コムニオ(聖体拝領唱)などがあり、典礼の内容によって言葉が変化するものです。

 グレゴリオ聖歌では、ミサ通常文には典礼の内容ごとに幾通りもの旋律がつけられていますが、ミサ固有文は旋律も固有のものとなっています。このうち、特にミサ通常文は重要なもので、後世の作曲家の多くが、この通常文をテキストとしてミサ曲の作曲を行っています。

【参考音源】
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教会旋法について

 グレゴリオ聖歌の特徴といえば、楽器の伴奏もなくハーモニーも対旋律も持たない単旋律の音楽であるということです。ただ一本の旋律を修道士たちが声を合わせて歌っていたわけですが、そのグレゴリオ聖歌の旋律は8種類の教会旋法に基づいて作られています。旋法とは簡単に言えば旋律の性格を表すものです。8種類の旋法にはそれぞれ特色があるのですが、その特色を決めるもっとも大きな要素は、その旋律が終わる音、すなわち終止音と呼ばれるものです。

 このことを確かめるために、ご存知<かえるの歌>について考えてみましょう。かえるの歌の終止は「ミ・レ・ド〜♪」と終わりますよね。これを「ファ・ミ・レ〜♪」と「レ」の音で終わるようにしてみましょう。そのためには歌いだしから「ド・レ・ミ・ファ・ミ・レ・ド」ではなく「レ・ミ・ファ・ソ・ファ・ミ・レ」と歌いだすことになります。ちょうどピアノの白鍵を一つずらして弾いてみるということです。ずいぶんと曲の雰囲気が変わったと思いませんか。同様に「ミ」から弾き始めると、また違った雰囲気になります。
 このように「レ」の音が終止音になる旋法のことを「ドリア旋法」、「ミ」の音が終止音になるものを「フリギア旋法」と言います。同様に「ファ」の音が終止音になるものを「リディア旋法」、「ソ」の音が終止音になるものを「ミクソリディア旋法」と言います。

 今日の音楽で主に使われる長音階(「ド」を終止音にしたもの「イオニア旋法」)と短音階(「ラ」を終止音にしたもの「エオリア旋法」)は、まだこの時代には使われていませんでした。近代の音楽でも、この教会旋法を用いた音楽がありますが、そうした音楽になんとなくいにしえの音楽といった風情が感じられるのは終止する音が異なっているからということも関係していると思われます。

 終止音に次いで重要な音は支配音と呼ばれる音です。これは、旋律が歌われるときの中心となる音のことですが、この支配音は終止音に対して5度高い場合(正格旋法)と3度高い場合(変格旋法)があります。正格旋法は、変格旋法よりも終止音に対する支配音が高い分、高らかに歌い上げるような感じの旋律となり、変格旋法のほうは、逆に柔らかでより穏やかな感じの旋律になるようです。4種類の終止音にそれぞれ正格旋法と変格旋法がありますので、教会旋法は8種類ということになります。
 

【参考音源】
posted by バニラ at 23:30 | TrackBack(0) | 中世 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

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