ネウマ譜とソレーム唱法

 このグレゴリオ聖歌の旋律がどのような楽譜に記されていたかといいますと、実は現在の五線譜とは違った楽譜に記されていました。前述の最古の楽譜では、旋律の上がり下がりがなんとなくわかるような線や印が記されていたに過ぎませんでした。
 やがで、もう少し音程が明確に分かるように一本の線が引かれて、これが音程の目安となったのですが、次第にこの線が増やされて最終的には4本の線が引かれることになりました。このような楽譜のことをネウマ譜と呼びますが、今日のローマ・カトリック教会において用いられている聖歌集もこの4線のネウマ譜によっています。

 この記譜法では音の高さは分かるようになりましたが、音の長さは明確には記されていませんでした。このため、いくつかのリズム理論が考察されているのですが、今日の代表的な歌い方は、フランスのソレーム修道院において研究され体系化されたソレーム唱法と呼ばれるものです。この歌い方は、すべての音符が同じ長さで歌われ、掲音(アルシス)と抑音(テーシス)によって抑揚をつけて歌っていくというものです。ソレーム唱法は今日のカトリック教会の公式の歌唱法となっていますが、必ずしも学術的な面での信憑性があるというわけではなく、ネウマ譜に記された音楽の真の姿を復元するための研究が続けられています。

 グレゴリオ聖歌は、ハーモニーのない旋律線をユニゾンで歌っていくだけの単純なものですが、そのたゆたうように流れていく旋律は、深い祈りが込められていながらも聞くものには安息感を与えてくれる不思議な魅力を宿しています。グレゴリオ聖歌は、西洋音楽の原点であるからというだけでなく、その音楽自体の魅力において、音楽史を辿るうえで一度は聴いておきたい音楽であるといえるでしょう。
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中世の吟遊詩人

 ヨーロッパの中世というと、キリスト教一辺倒の暗黒時代というイメージがあるので、宗教音楽しか栄えていなかったように錯覚するかもしれません。実際、グレゴリオ聖歌を始めとする優れた宗教音楽が歌われていたわけですが、同時に世俗的な音楽も中世の時代に徐々に発展を遂げていました。

 世俗音楽については、宗教音楽のように教会や修道院により組織的に編纂されたものではないために、なかなか後世には伝えられませんでしたが、それでも11世紀ごろからは解読可能な楽譜が少しずつ増えてきます。11世紀から14世紀くらいまでの世俗音楽の主な担い手は、十字軍の派遣により台頭してきた騎士階級の人たち、あるいは宗教的な束縛からの自由を求めて教会や修道院から去っていった僧侶たちといった知識階級の人たち、いわゆる吟遊詩人です。
 吟遊詩人の時代とは十字軍の時代でした。吟遊詩人の多くは騎士階級に属する人々でしたが、騎士階級とは中世ヨーロッパの封建制度の中核を担った人々のことで、領主との間で土地を媒介とした契約を結ぶことで封土を与えられる代わりに軍務を提供していました。こうした双務的契約関係の頂点に立ったのが国王です。

 こうした人々が、7世紀以来イスラムの支配下に置かれていた聖地エルサレムを奪回すべく、教皇ウルバヌス2世の求めに応じて熱狂的に十字軍に参加しました。彼ら吟遊詩人により、騎士道精神から生み出された女性賛美の思想、英雄賛歌、宮廷や教会などの既成権威の批判、恋愛や酒など現世を謳歌する歌、そして十字軍に関する歌など、様々な内容が歌われました。
 吟遊詩人の歌も原則としてグレゴリオ聖歌と同じく単旋律の歌によるものでしたが、当時の絵画などから簡素な器楽伴奏を伴っていたものと推測されています。
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トルバドゥールの音楽

 中世の吟遊詩人は、その活動した地域、身分により様々な呼ばれ方をしています。残された資料のうち最初の重要なものは、フランスのジョングルールと呼ばれた、いうなれば旅芸人のような人たちのものです。音楽家というよりは、村から村へと渡り歩く大道芸人のような人たちであったのかもしれません。こうした人たちとは別に、貴族などのお抱えとなって社会的な地位も少し向上した人たちはミンストレルと呼ばれました。

 12世紀になると、南フランスにトルバドゥールと呼ばれる騎士階級の歌人たちが現れ、音楽的にも充実した作品が生まれるようになりました。最初期のトルバドゥールは、プロヴァンス地方のアキテーヌ公ギョーム9世(1071〜1127)の館に集まった人たちで、ギョーム9世自身も最初の吟遊詩人といわれています。やがてこの地方から、多くの優れた歌人があらわれ、2600編ほどの詩と、260ほどの旋律が残されることとなりました。
 主なトルバドゥールとその作品としては、ベルナール・ド・ヴァンタドルン(1145?〜1195)の<陽の光を浴びて、ひばりが>や、ランボー・ド・ヴァケイラス(1180?〜1208)の<五月の一日>などがあげられます。作品の多くは恋愛詩で、この地方の方言であったラング・ドック(オック語)で書かれていますが、この時代になってようやくラテン語だけでなく俗語も表現力が拡大し、文学的に高度な内容を盛り込んだ詩作が可能となってきたことを表しています。また、この恋愛詩の内容は、主に既婚の貴婦人、それも多くの場合自分の主君の奥方を賛美するというものでした。かなわぬ恋の対象を設定することで、自らの詩的想像力を引き出していたのでしたのではないでしょうか。
 音楽的には、フレーズの区切りが不明確な自由リズムが特徴であり、歌というよりも語りに近いものであるかもしれません。


【参考音源】
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トルヴェールの音楽

 1137年にギョーム9世の孫娘アリエノール・ダキテーヌがフランス国王のルイ7世と結婚することになり、北フランスに赴いた際に何人ものトルバドゥールを連れていったことが契機となり、北フランスにも同様の歌人が現れ、トルヴェールと呼ばれました。

 トルヴェールが用いた言語は、フランス語の祖先にあたるラング・ドイル(オイル語)というものです。トルバドゥールに比べるとフレーズ構成が明確になり、曲調も陽気で軽快なものが多くなります。
 主なトルヴェールとその作品としては、モニヨ・ダラス(1190?〜1239?)の<そは五月>や、アダン・ド・ラ・アル(1237?〜1286?)の<ロバンとマリオンの劇>などがあげられます。<ロバンとマリオンの劇>は最古の音楽劇として知られるものです。

 なお、前述のギョーム9世の孫娘アリエノール・ダキテーヌはルイ7世と離婚した後、プランタジュネット家のアンリ(後のイングランド王ヘンリー2世)と結婚しますが、その二人の間に生まれた子供の一人が獅子心王リチャードです。獅子心王リチャード自身もトルヴェールとして知られていました。
 獅子心王リチャードは第三回十字軍に、神聖ローマ皇帝フリードリヒ・バルバロッサ、フランス王フィリップ二世とともに参加していますが、こうした権力者とともに多くのトルバドゥール・トルヴェールが東方世界への遠征に随行し、十字軍に関する多くの詩歌を残しました。彼らの詩歌には「聖地奪還」というもはや叶わぬ理想が込められているからでしょうか、勇ましさよりは哀調を帯びたものが多いように感じられます。


【参考音源】
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ミンネゼンガーの音楽

 1156年にはフランスのベアトリス・ド・ブルゴーニュがドイツの神聖ローマ皇帝フリードリヒ・バルバロッサと結婚したことにより、フランスのトルバドゥールやトルヴェールの芸術がドイツに紹介され、12世紀末ごろにはミンネゼンガーと呼ばれる人たちが現れることとなりました。
 曲調は重々しく、内容も道徳的、宗教的なものが多いのは、ドイツのお国柄といえるかもしれません。女性賛美の歌でも、現実の女性ではなく聖母マリアへの賛歌が多くなっています。
 ミンネゼンガーの代表的な歌人としては、十字軍の聖地到着の感動を歌いあげた<パレスチナの歌>の作曲者ヴァルター・フォン・デア・フォーゲルヴァイデ(1170?〜1230)や、「フラウエンロープ」の別名で知られるハインリヒ・フォン・マイセン( ? 〜1318)、ワーグナーのオペラの題材となったタンホイザー(1200?〜1266?)といった人たちがいます。

こうした吟遊詩人の音楽において特に注目されるのは、後世の西洋音楽の特徴をいろいろな点で見出すことができるという点です。グレゴリオ聖歌が、教会旋法によっているがために、明るいとも暗いともいえない神秘的な感じであるのに対し、たとえば前述のモニヨ・ダラスの<そは五月>は明るい曲調であり、フォーゲルヴァイデの<パレスチナの歌>は暗い感じである、つまり長調や短調の傾向を現しているのです。
 また、ひとつのモチーフを用いてA−A−Bといった音楽形式への志向が見られるようにもなってきています。このような点において、中世の吟遊詩人の音楽も、グレゴリオ聖歌とはまた違った意味で西洋音楽の根源的なものの一つとなっているといえるでしょう。

【参考音源】
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