バロックの表現原理

 ルネサンスでは、人文主義的な感性、言い換えれば自分自身の表現意欲に従って芸術活動がなされました。そして、その作品はギリシア時代を規範とする古典的な均整美を特徴としていましたが、ルネサンスで目覚めた「個人」の感性を重視する表現は、今や「個人」の内面、つまり怒りや悲しみ、絶望といった感情までをもありのままに表現しようとするようになります。
 その際の表現原理は、もはや均整や調和ではなく、不安定な構図をも辞さない躍動感や明暗のコントラストによる感情表現となったわけです。もともとの意味はポルトガル語で「いびつな真珠」を意味するバロックという言葉が、ルネサンス時代に続く時代(およそ1600年〜1750年)の芸術様式全般を意味するのは、そのような理由からなのです。ルネサンス的なものと較べての、ある種の「いびつさ」がバロック的表現の源となったのです。

 このようなバロックの表現原理は、彫刻や絵画などの美術の分野だけでなく、音楽芸術の分野についても同様に当てはめることができます。
 ルネサンスの音楽に比べて、大合奏と小合奏の対比、楽器の違いによる音色の対比など、バロック音楽は対比の効果に満ち溢れています。また、声楽の分野では、歌詞の内容をより生々しくドラマチックに伝えるための表現方法が追求されるようになります。
 音楽芸術の分野において、こうしたバロック的表現を開拓していった人たちが、イタリアのヴェネツィアやフィレンツェで活動していた音楽家達でした。
posted by バニラ at 00:24 | TrackBack(0) | バロック | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

ヴェネツィア楽派とガブリエリの音楽

 ヴェネツィアではイタリアの音楽復興のため、フランドルからアドリアン・ヴィラールト(1480〜1562)が聖マルコ教会の楽長として招聘されて以来、アンドレア・ガブリエリ(Andrea Gabrieli 1510?〜1586)らの、ヴェネツィア楽派と呼ばれる優れた音楽家群を輩出していました。

 特に、アンドレア・ガブリエリの甥にあたるジョバンニ・ガブリエリ(Giovanni Gabrieli 1557〜1612)は、初めて楽譜に強弱記号が書かれ、また演奏すべき楽器の指定がされた最初の曲である<ピアノとフォルテのソナタ>の作曲者として知られています。
 ジョバンニ・ガブリエリの曲では、音量大小の対比、声楽と器楽の対比、小合奏と大合奏の対比といった様々な対比効果、二重合唱によるステレオ的な効果などを用いたダイナミックな表現が、ふんだんに盛り込まれています。ガブリエリがこのような音楽を創り出したのには、実は聖マルコ教会の構造に理由があったのではないかと考えられています。聖マルコ教会には教会の左右2か所にオルガンと聖歌隊の席が設けられていたために、自然と空間的な対比効果を得ることができたことが、作曲家にインスピレーションをもたらしたのではないかというのです。

 同じイタリアでも、教皇のお膝元であるローマの音楽が概して保守的であったのに対して、商業都市であるヴェネツィアでは華やかで祝典的な音楽が奏でられていたのです。このようなヴェネツィア楽派の音楽表現が、バロック音楽の特徴の一つともいえる協奏的・競争的な音楽を開拓することとなり、ゆくゆくは協奏曲(コンチェルト)を生み出すこととなったのです。
 【参考音源】
posted by バニラ at 20:48 | TrackBack(0) | バロック | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

フィレンツェのカメラータとモノディー様式

 ヴェネツィア楽派とは異なったアプローチによって、バロックの音楽語法を開拓していった人たちが、フィレンツェの「カメラータ」と呼ばれる文化人のグループです。カメラータの人たちが目指したものは、古代ギリシア劇の復活でした。
 カメラータの中心人物には、作曲家のジュリオ・カッチーニ(1546〜1618)や、ヤコポ・ペーリ(1561〜1633)、台本作家のオッターヴィオ・リヌッチーニ(1562〜1621)といった人たちがいましたが、彼らは、古代ギリシアの音楽においては、歌詞の持つ意味と、言葉のリズムが重視されていたと主張し、ルネサンスのポリフォニーに代わる音楽様式を模索していました。
 ルネサンスのポリフォニーにおいては、他の声部との調和が重視され、滑らかに音楽が進行していくため、歌詞の意味に即した劇的な感情表現には適さないとカメラータの人たちは考えたのです。ポリフォニーに変わる音楽様式として彼らが提唱したものが、独唱者が言葉のアクセントや区切り、意味や感情に即した旋律を歌い、それを低音楽器による対旋律と即興による和音伴奏が支えるという「モノディー様式」です。彼らにとって大切であったのは、歌詞の意味を正しく伝えることであり、それはつまり言葉の持つ感情を音楽で表現することであったのです。
 ちなみにこの即興的な和音伴奏つきの低音は、独唱になることでポリフォニーによる音楽に比べて響きが貧弱になることを補うための「通奏低音」といい、バロック音楽の特徴となります。

 カッチーニの作曲したものに、モノディー様式によった歌曲集<新しい音楽>があります。特にこの曲集の中の<麗しのアマリッリ>はイタリア古典歌曲の名曲として知られるものです。新しい時代の新しい音楽の芽吹きを感じさせるような、清新な魅力に満ちた曲です。
 カメラータは、このモノディー様式に基づいて劇全体が歌によって進行していく、新たな舞台芸術を創造することとなりましたが、これこそが最初のオペラとなったのです。
 【参考音源】
posted by バニラ at 00:50 | TrackBack(0) | バロック | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

オペラの誕生

 演劇と音楽は、中世の典礼劇や吟遊詩人による音楽劇のように、古来より密接な関係にありましたが、カメラータの人たちによって創出されたモノディー様式によって、演劇と音楽の新たな結びつきが生まれることとなりました。演劇全体が音楽によって進行するオペラがここに誕生します。

 史上初のオペラは、カメラータの主要メンバーでメディチ家の宮廷音楽家であったヤコポ・ペーリ(1561〜1633)が1598年に作曲した<ダフネ>ですが、残念ながらその音楽は失われてしまっています。
 現存する最古のオペラは同じペーリにより1600年に作曲(一部カッチーニによる)された<エウリディーチェ>です。このオペラは、フランス王アンリ4世とメディチ家の令嬢マリー・ド・メディシスの婚礼の際の出し物として盛大に演奏されました。婚礼に列席した諸侯は、従来とは全く異なる音楽の劇的な効果に、大きな感銘を受けることとなりました。
 これ以降、オペラはバロック音楽の中心的なジャンルとなり、様々な祝宴における最大の催しとして諸侯の宮廷を彩ることとなります。

 ただ、カメラータの人たちによって生み出されたオペラは、音楽表現の新たな可能性を提示することとなりましたが、言葉の内容をそれにふさわしい音楽によって語るように歌っていく方法は、音楽としての形式感を欠くことから、劇全体を進行させていくには冗長なものでもありました。
 しかしながら、未だ生まれたばかりのオペラの可能性は、一人の天才的な音楽家によって、急速に成熟させられることとなります。この音楽家が、クラウディオ・モンテヴェルディ(1568〜1643)です。
 【参考音源】
posted by バニラ at 22:00 | TrackBack(0) | バロック | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

モンテヴェルディの第二作法

 十六世紀の末期になると、イタリアの音楽界ではルネサンス様式からバロック様式への転換が様々な形で見られるようになります。すなわち、マレンツィオやジェズアルドらマドリガーレ作曲家による実験的な試み、ガブリエリらのヴェネツィア楽派による協奏的な音楽、そしてカメラータの人々によるモノディー様式及びオペラの創出などです。こうした動きを統合し、バロック音楽の方向性を決定づけた作曲家がクラウディオ・モンテヴェルディ(Claudio Monteverdi 1567〜1643)です。

 モンテヴェルディは1567年に生まれますが、1587年には早くもマドリガーレ集第1巻を出版し、続いてマドリガーレ集第2巻を出版した1590年には、マントヴァのゴンザーガ家の宮廷楽団員になるなど、早くから楽才を示すこととなります。
 マレンツィオやジェズアルドらの後を受けて、伝統的な無伴奏ではあるものの、革新的な手法を盛り込んだマドリガーレを次々と作曲していきますが、1600年に、その前衛的な作曲法が「当世の音楽の不見識」であるとして、保守的な音楽理論家のジョバンニ・マリア・アルトゥージによる批判にさらされることなります。
 作者名こそ伏せられているものの、アルトゥージはモンテヴェルディの作曲したマドリガーレを引用し、その音楽において如何に理論的な間違いが犯されているかを論じたのです。
 しかしながら、モンテヴェルディはその批判の論文に引用された自らのマドリガーレを、そのままマドリガーレ集の第4巻と第5巻に掲載し、さらに第5巻の序文において反論を試みました。

 その序文では、アルトゥージの言う理論に基づく従来の作曲法は、ルネサンス的な調和と均整を重んじた第一作法(プリマ・プラッティカ)であって、そうした伝統的な作曲法を認めないわけではないが、それとは別に、言葉のもつ意味や激しい感情をもっと直接的に伝える第二作法(セコンダ・プラッティカ)があって、自分はそのような従来の音楽理論には囚われない音楽を目指していることを述べているのです。
 このような考え方には、カメラータの人たちがモノディー様式を創出したのと同じ意識が働いているということができると思います。実際に、モンテヴェルディは1605年に出版したマドリガーレ集第5巻において、無伴奏曲だけでなく通奏低音付きの曲も収録されています。

 モンテヴェルディは「第二作法」の理念と自らの天才的な音楽性によって、ルネサンスの音楽をバロックの音楽へと作り変えていくこととなったのです。
 【参考音源】
posted by バニラ at 00:44 | TrackBack(0) | バロック | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

広告


この広告は60日以上更新がないブログに表示がされております。

以下のいずれかの方法で非表示にすることが可能です。

・記事の投稿、編集をおこなう
・マイブログの【設定】 > 【広告設定】 より、「60日間更新が無い場合」 の 「広告を表示しない」にチェックを入れて保存する。


×

この広告は180日以上新しい記事の投稿がないブログに表示されております。